14年11月の「超目玉」
    今日のお題は「傍観」です


今年のカレンダーも残り少なくなりました。

その、カレンダーに


      
「子の苦労 傍観してこそ子は伸びる」 とありました。


「傍観」とは 「何も手を出さずに見ていること」


ついでに、

「傍」とは     「何か中心になる物事のそば。わき」
「傍聴」とは   「会議・公判などの経過を一定の席で聞くこと 
ただし、意見を述べることは許されない」

「傍証」とは   「直接の証拠ではないが、
               それが有れば証明を強化するのに役立つ幾つかの資料」

「傍若無人」とは

「【傍らに人無きが若(ゴト)し】の意  
               そばの人に遠慮せず、勝手な行動をする様子」



長女が来年 25才になります。
大学4年生の次女が おかげさまで、就職がきまり、ほっとしているところでございます。
3女の大学2年生も、アルバイトしながら、まあ、頑張っている様子です。

しかし、いくつになっても私の気持ちの中では、
保育園に通っていたときの「むすめ」と同じです。

主人からよく「甘い」と言われます。
たしかに、私自身「甘い」と思います。

「なにも手を出さずに見ているだけ」なんて、難しいです。
人生、苦労はつきもの、2倍は生きてきた先輩として、
たっぷりの愛情をもってアドバイスしたいです。
   
 
今日のお題は「浪曲」です。 11月13日



今日の朝刊の広告ページに「浪曲名人全集」がありました。
父が明治生まれ、また、私の小学生時代はテレビはなく、もっぱら、
ラシ゜オの時代でした。

その、ラジオから、寝る前に聞くのが、「浪曲」でした。
この、広告欄に20人の「浪曲師」の名前がのっていますが、よく知っています。
特に、「広沢虎造」さんは、父が大好きでした。



【浪曲】      ろうきょく(ラウキョク)
          「なにわぶし」の意の漢語的表現。

【浪花節】    なにわぶし(ナニハブシ)
         〔「なにわ」は「難波」とも書き、大阪付近の古称〕
         三味線つきで語る通俗的な語りもの          
        
         用例・作例
              ―的な〔=義理人情を中心に考える、通俗的で古風な〕言動

【通俗的】    もって回った所が無く、受ける側にさほど教養や知識を期待しない様子。
          俗受けのする様子。



浪曲の題名に 「赤城の子守歌」「勧進帳」「次郎長」と数々ありますが、
その一つの「南部坂雪の別れ」 

大石内蔵助が浅野内匠頭の奥方にお別れを言いに行く場面ですが、
また、「まぶたの母」など、子供の私でしたが、時々、父の説明入りで、
それはもう、涙なくしては聞いていられないほどでした。

確か、三味線も楽譜があるわけでなく、
浪曲師に合わせて弾いていると聞いたことがあります。

今、テレビでも「浪曲」の番組も少なく、あの、ひとりで何役もこなし、
張りのある節、かたりは昔の話になりそうですね。

 
       今日のお題は「欣喜雀躍」です。



 
先日の新聞「声」に84歳の方の投稿の中にありました。
54歳で、最初の子をもうけられ、うれしくてかわいくて、
そして、今月お孫さんが誕生され その時「欣喜雀躍」だったとありました。


「欣喜雀躍」(きんきじゃくやく) 意味は小躍りして喜ぶこと
                   「欣喜」は「たいそうよろこぶこと」
                   「雀躍」は「雀のようにぴょんぴょん跳ね回ること」
とありました。 


「歓喜雀躍」とも「驚喜雀躍」とも言う。とありました。


私の亡くなった父もこのお方と同じような年齢でした。
とても可愛がってくれました。
残念ながら「孫」を抱かせてあげられませんでしたが、
このお方の「欣喜雀躍」の姿が目に浮かんできます。


そういえば私自身、最近は「愚痴」ばかりの生活で、「欣喜雀躍」の気持ちになるような出来事がないな、と考えています。


長女も24歳、そろそろ、と、楽しみにしていましょうかね。