20年12月第2木曜日

12月4日

今回 お話が 2つ あります。



まず、今日の目的 一つの

「へらぶな釣り」


先日 「全日本へら鮒放流協議会」 から

 みやこ町 犀川 の 「本庄池」に 


1000s (約数十万円) 「河内へら」が

はるばる 関西から トラックで 運ばれ

 放流されました。



その へらぶなさんは 「養殖へら」

放流される前は 毎日 人間 の与える餌で 気楽に 大きくなった へらぶな です。


ハリ のついた餌を食べ 釣られ 「恐い」 思いをしている 

野池の へらぶな とは 違って 


この へらぶなさん達は 何の疑いもなく ハリ についた 餌を

「パクッ」 と 食べます、




 釣 師

 
日頃 なかなか 釣れなくても

放流後 しばらくは


何も 悩まず 楽しめます。


とても、 ありがたいことです。


でも、

その 養殖育ちの へらぶなさん達も 

その後 経験して 賢くなり 、

またまた、 ハリ  道糸  を  警戒するようになります。


で、

ここ 九州の へらぶな釣りの 主流は 野池の釣り

いつも、 放流している 関東の 管理釣場と違って 


こういう チャンスは なかなか ありません。


で 

前置きが 長くなりましたが

今日 出かけました。


もう一つの お話
ここ 「本庄池」から 見える 「蔵持山」
午前中 登ることに しました。

その前に 

主人 初めて 私 6年ぶり 

何と  登山口 様変わり  家がない! 
「福岡県の山」の 説明にある

「崩れかけた 一本足の鳥居を見て」 の 
6年前にあった 「一本足の鳥居」も 

今回 跡形なく でした。  

ここからは 変わってません。

きれいに 引き詰められた 石

ずっと、 続く 「坊」の 跡

石積み が きれいに 残っています。

看板 が、、。

二の鳥居

遥 拝 殿

説 明 板


この 「蔵持山」は 

「英彦山六峰」の ひとつに数えられる 豊前地方屈指の霊山

千年以上の 歴史をほこります。

最盛期には 96坊 あったと いわれます。
 

山内には 歴史にふさわしい 数々の遺跡が残され、

一部は 今なお信仰や生活の場として利用されています。 

聖域 山の神の住む浄域

@

A行場 山伏の修行の場

B集落 「坊」 

C 墓地 

D 生産地  

山伏の副業 

生活に必要な資材を得る場

A
@
B

D

C

常寂光土 
(仏の世界)

実報厳士 
(菩薩の世界)

方便浄土 
(修行者の世界)

凡聖同居土 
(聖俗雑居の世界)

これらを 結ぶ 道路が 四土(四種の悟りの世界)という 仏教思想のもとに 

秩序だてて配置されています。

しかも ほとんどが 江戸時代以前の状態のままが現在に伝えられています。 

次に 
A
の 場所になる 石段

約300段 ありました。

三の鳥居

左 ヤセ尾根をたどると 

「稚児落とし」の 屏風岩の上

正面 英彦山 よく 見えました。

写真

ここで しばし 休憩

左の 絶壁を 見下ろすと 


次に

゜国見台」

下り 主人の横道へ

いつの時代の ものか 分かりませんが


「石積みの 砂防(?)」


セメントのない時代 この技術 

すごい と、

砂防ダムの工事 添田へつながる道 の工事

様子が ダンダン 変わります。

午後1時から から 「本庄池」へ。


きれいな公園


町民の 憩いの場所として 最高

水洗トイレが 数カ所  あり、

駐車場も 沢山、


釣り 足場もよく 最高の釣り場です。

 へらさんには 気の毒ですが、

いっぱい 釣れました。


顔の小さく 体高の高く きれいな 放流ベラ 

3時  雨が 振って 中止

赤村の 「源じいの森」の温泉 で、ゆっくり


今日も元気で 良かったです。