前文略

 「星生山」(ほししょうざん)

高山植物や野山の花の素敵な大分の久住山郡の一つで、
さほど標高のある山ではないが、久住山や辺りの山の眺めはとても良いのだという。

「星の生まれる山」と書いて「星生山」。もとは流星が落ちたことから名づけられた
という、この面白い山に、私は一度だけ足を踏み入れたことがある。

中文略

「なまった体を動かしてきなさい」

早朝から車を走らせ、高速で二時間ほどで久住山の登山口である牧ノ戸に着いた。

平日で、しかも朝の早い時間にも関わらず、駐車場はほぼ満車状態で、
辺りは親子連れや学生、老夫婦などでにぎわっていた。

まだまともに明るくならないうちから登山を始めるのは、ここでは常識らしい。

久住山に向かって歩くこと一時間

青々と短い葉が茂る平原に、久住山群の中核をなす、
標高1762メートルの星生山が堂々とその姿を現した。

星生山は切り立った山のため、山道は直線的で傾斜がきつく、
なかなか容易には登頂できなかった。

また、頂上が見えている分、それが私にはよりじれったく感じられた。


ゆっくりとしたペースに合わせて約三〇分
彼女のかねてからの希望だった星生山の山頂に到着した。

というのも、この山は平成七年十月の硫黄山の噴火以来、全域が入山禁止になっており、去年の五月末、約七年ぶりに解禁となった、とにかく珍しい山だった。

数日前まで名前も知らなかった私だが、山頂からの展望は、
意外にも興味深いものであった。

この山は頂上を境に、東半分が岩尾根、西半分が草尾根という、

一つの山でまるで異なる二つの顔を持っていた。

まだ噴煙の立ち上る、硫黄噴火口のある東側は樹木がなく、
ごつい溶岩の塊と、白い灰でできた荒々しい世界が広がっていた。

それに対し緑の豊かな西側は、色鮮やかな四季に彩られる、自然が豊かな景色だった。

今日のお題は「星生山」です。
5月31日

中文略

 
星生山の草尾根は、春に草原が芽吹き、
夏の青々とした新緑に濃い桃色の一面のミヤマキリシマ。

秋には紅葉と共にリンドウが群れ、年の終わりから霧氷が幻想的な空気を作り出す。

久住の自然は、年中あきもせずにせわしくその姿を変え、
いつでも楽しめる山登り絶好のスポットとして、多くの人を惹きつけている。

一方、星生山の東側はというと、常にモノクロで灰色の世界。

その様子は荒々しく冷たくもあるが、変化に微動だにしない、
肝の据わった人のような強さを感じた。

どちらか一方だけでも良いのだろうが、
対照的な色彩が互いのキャラクターを引き立たせることで、
その魅力を出しているのだと思う。




後文略

 

「主」とする、内容が、わかりにくく、申し訳ありませんが、

もともと、このエッセイの「主」とするところは、「星生山」の事ではありません。

たまたま、先日、「星生山」を歩きながら、

ここのところを、思いだして、山の右左をながめました。


三女に言わせれば、長い文の中、ここだけ、引き出して、

「意味ないやん」と、言われそうですが、

まあ、また、いつか、

「主」となる話に、「星生山」が、つながるのか、書きたいと思います。  (*^_^*)
今年、大学を卒業した、三女の「エッセイ」です。

題は「4月29日」です。