端午の節句

20年5月5日

端午の節句は、悪鬼や災厄を祓うのが目的

武家屋敷の塀や門に柵を作り、幟(のぼり)や兜・槍・なぎなた等を並べてる外飾りでした

やがて鎧兜を着せた武者人形を飾るようになったそうです。

でも庶民は本物の武具などは持っていませんから、

最初は厚紙などで兜や剛毅な武者の人形を造り飾っていました。

これが五月人形の始まりです。


孫の 初節句 でした。

またまた、曾おばあちゃん おじいちゃん おばあちゃん 

おじさん おばさん いとこさん いっぱい 集合 


お祝いを していただきました。

五月飾りの原型は災厄払い
端午の節句の起原は、古代中国

物忌み月(5月)  厄払いの行事行われていました。

端午の「端」は 「はじ/最初」の意味

「午」は「うま」つまり 端午 とは、五月の最初の午の日

最初は必ずしも五月五日ではなかったようで、

午と五のゴロが同じことからこの行事は、やがて5が重なる重五の日、

5月5日に大切な厄払いの日として定着

登竜門の故事

とてもロマンチックで、昔々中国の霊山に「竜門」という滝があり、

その急流の滝を登り切った鯉には霊力が宿り、龍になると言われていました。

人生の中で困難に遭遇しても、この鯉のようにたくましく立ち向かい、

やがて成功することを願って鯉のぼりが生まれたと言われます。

鯉のぼりの由来

鯉のぼりは、中国の登竜門の故事に由来しています。

黄河の上流の急な流れを鯉が上るということから、

鯉は出世魚として考えられ、子供の立身出世の象徴として江戸時代から、

盛んに立てられるようになりました。

我が家は 三人娘 


今回 団地サイズ ですが、


男の子を持てなかった  主人には  誠に 嬉しい  「こいのぼり」
 

今日の主役

目尻  ちと さがり 

人見知り で、すぐ 大声で 泣く


この おばあちゃん  

「男の子 は、泣かない !!!」  

と、、。  

鎧兜は、命を守り健康であることの象徴。

鎧兜が現在の様な形で、主に飾られるようになったのは、戦後と言われています。

理由としては、鎧兜は、古くから命を守る象徴として考えられていたため、

男の子を事故や災害から守るものとしてとらえるようになったからだと思われます。

端午の節句では、鎧兜を戦いの道具ではなく、

身体を護るものという意味でとらえるようになります。

鯉のぼりが普及した理由。

江戸時代になると、幕府が5月5日を重要な日として定めたことから、

この風習が庶民にも拡がり、 端午の節句を祝うようになりますが、

幟旗(のぼりばた)は武士のものでしたから庶民は飾れません。

そこで鯉のぼりの登場です。

鯉のぼりは、庶民に大人気であっという間に拡がっていきます
源頼朝公 

端午の節句のもとになった兜は 源氏の兜 といわれています。
端午の節句は、平安時代から
 

長女 手作りの 「ケーキ」

まず

端午の節句の由来
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