と 

考えると 明治時代に作られた歌のようです。


母から 教えて貰ったのか お友達同士で 覚えたのか 思い出せません。


私が 生まれたのが1951年 

20年後 「お手玉」で遊ぶ 子供達の姿は 見なくなりました。

さて、

「検索」しても 歌は 10番まで

私には 続きがあり

♪ 十一 万歳ばばんざい  十二も万歳 ばばんざい

♪ 十三 咲く咲く花が咲く 十四 四国の金比羅さん 

♪ 十五 御殿の八重桜 十六 牢屋は暗いもの

♪ 十七 七士の墓参り 十八 浜辺の白ウサギ

♪ 十九 来る来る春が来る 二十 二宮金次郎 きんじろおぉーぉ

♪ 二十一 芋屋の番頭さん 二十二 肉屋はお金持ち

♪ 二十三 砂糖は甘い物 二十四 塩は辛い物

♪ 二十五 ごろごろ 雷さん 二十六 ろうそく白いもの

♪ 二十七 質屋はお金持ち 二十八 葉っぱは青々と

♪ 二十九 楠木正成は 三十 侍 刀持ち 刀もーち

と、

たぶん これも どこか 間違っているのでしょうが

50年経っても 恥ずかしながら 歌っていたのだと 思います。

「お手玉」

10月17日

「一列談判」

一列談判は1950年頃までよく歌われていた東京の手まり歌。

イチ、ニ、サ、シ…と各句の頭に数字を読み込んだ和恵唄の数え唄の形をとっている。

「一列」は意味不明だが、「一月」(日露開戦直前の1904年1月に最後の交渉が決裂したことを指す。いちげつ。)の転訛とも、

「日列」(=日本対強列)の転訛とも、交渉会場のテーブルが「一列」に並んでいるから、ともいう。

私 ばあば  

長女の 長女 6才 長男 4才  次女の 長女 1才5ヶ月 と  3人の孫が居ます。

時々 我が家へ


そんな中 先日 孫ちゃんが

おもちゃ箱から  娘達のために作った 「お手玉」を 見つけました。


「ばあば して 見せて」



それではと 3個 で お手玉を。

これを 「ジャグリング」と 言うのだそうです。

そして、


「いちれつらんぱん はれつして にちろせんそがはじまった

さっそくにげるは ろしあのへい しんでもつくすは にほんのへい、、、、」


と 歌いながら

ずっと 30まで 続く訳ですが、

すいすい 口から 出てきました。

「数え歌」 です。



そうです、 小学生の頃 もう、50年も前に なるわけですが、

当時の はやっていた 遊びでした。


たぶん 娘達も 知らないでしょう。



そこで 「検索」してみました。


これは 「手まり歌」の一つだとかで

アレクセイ・ニコラエヴィッチ・クロパトキン
1848~1925 

 ロシアの軍人 ロシア満州軍総司令官


「首を取り」は 殺されては居ません

そうなんです。

ずーーっと、「一列談判」 の 意味も知らずに しかも 間違って 歌っていました。

またまた、 「クロバトキン」 私は 意味も分からず 「くろがたけん」と 歌っていました。

(>_<)

♪ 一列談判破裂して、日露戦争始まった
 さっさと逃げるはロシヤの兵、死んでも尽すは日本の兵
♪ 五万の兵を引き連れて、六人残して皆殺し
 七月十日の戦いに、ハルピンまでも攻め破り
 クロバトキンの首を取り、東郷元帥万々歳

さて、

先日 畑の道ばたで たまたま、 「ジュズダマ」を 見つけました。

私らには お手玉の中身は この 「ジュズダマ」 でした。

何でも 江戸時代から 「お手玉」に 使われているとか

三女の 七五三の着物を解いて 

二人の 孫に作りました。

孫ちゃん 挑戦です。

ついでに ネツトによると

「日本のお手玉会」があり 競技 段位認定 まであるとか、

今回 いっぱい お勉強になりました。