「多久聖廟」
11月23日

ともあ  えんぽう  きた  またたの

「多久聖廟」

情けないかな たまたま、通って 寄って見ました。

(>_<)

さんの 観光バスが 入ってきて

「佐賀三大 紅葉巡り」 と 書いてありました。

有名な場所なのですね。

(-_-;)



我が町と同じ 「炭坑の町」だったのですね。

ガスって いますが 「六角川」が よく 見えます。

長崎街道歩きの時 山の上の 赤い建物が見ていました。
この 鬼さん だったのです。

さて、

ここで 
「孔子」

主人  へら釣りで朝帰り  目を覚まして 「ドライブしよう」 と なりました。


時 すでに 11時過ぎています。

それでは ちと、気になる「鬼ノ鼻山」へ と 走りました。

ついでに 少し お勉強





子曰く(しいわく)、


学びて時に之を習う、また説ばし(よろこばし)からずや。

朋遠方より来たる有り、また楽しからずや。

人知らずして慍みず(うらみず)、また君子ならずや。

いつか 聖山 まで 歩きたいです。

多久市の 観光ガイドマップ に

有朋自遠方来。不亦楽乎。
 


朋有り遠方より来る 亦楽しからずや

[口語訳]

先生(孔子)がこうおっしゃった。

『物事を学んで、後になって復習する、なんと楽しいことではないか。

友達が遠くから自分に会いにやってきてくれる、なんと嬉しいことではないか。


他人が自分を知らないからといって恨みに思うことなどまるでない、

それが(奥ゆかしい謙譲の徳を備えた)君子というものだよ。』







[解説]

春秋時代に物事を「学ぶ」場合には、

書物によって知識を得るよりも師から言葉によって知識を伝達されることが多かった。

その為、

弟子たちは師が「詩経」や「書経」を読む声を聴いて、その内容を忘れないように復習したのである。


学問といっても現代のような教科書や講義による勉強ではなく、


基本は、貴族社会の礼儀作法や教養・素養を師から口伝で受け継ぐことにあった。


君子とは、端的には、統治者階級に相応しい

「人格・度量・教養・品位」を備えた貴族のことであり、



孔子が現れて以降は、

人民を敬服させる徳(人間的な魅力・教養)を兼ね備えた人物を指して特に君子と呼ぶようになる。


為政者たる者は、

有徳の君子でなければならないとするのが儒教の基本的な政治思想(徳治主義)である。











なんと、

紀元前の時代から このような お勉強とは、

(@_@)


はい!!

ずっーと  礼儀  思いやり   教えられてきたのですね。







と、

有名な 「言葉(?)」 が 書いてあります。








「論語」

これまた、私には 難しい


(?_?)

「孔子」 (紀元前551年〜紀元前479年)



弥生時代  神武天皇より100年ほど後の人

かなり  古い時代

「西渓公園」 紅葉祭り

私には 「おひつ」 「丸善」 「机」 など 最近まで 見かけた物  
そう、古い話ではないのですが、、。 

さすがの 祭日 道路渋滞 サービスエリアも満杯
今日は 気楽に 観光 めぐり