「宮地岳」
7月8日

先日 「石峰山」の のろし台跡 の 説明に 

フェートン事件後 信号の役割の のろし台 が設置されました。

と、ありました。




のろし台は


宮地岳 から  四王司山  しょうけ越え  竜王山  六ヶ岳  石峰山  から  霧ヶ峰(足立山)

そして、

小倉藩に 伝わる予定でした。

しかし、

一度として 役に立つことはなく廃止
 


と、



1808年 フェートン号事件


 
イギリス船 フェートン号がオランダ船拿捕の為に オランダ国旗 を掲げてに長崎港に入り

、オランダ商館員2人の捕縛・長崎港内の捜索を行なう事件を起こした


薪水と食料を提供しなければ長崎港内の船舶や長崎の町を焼き討ちすると脅迫を受けた

この際

長崎奉行 松平康英自身は武力衝突になったとしても相手側の要求をあくまでも退ける姿勢を示していたが、

オランダ商館長の説得によりやむなくフェートン号の要求を受け入れるに至った。


そして

イギリス船が人質を解放して長崎を去った日、自身の意に反して他国の脅迫に屈してしまった国辱の責任を取り、切腹 自害した。

筑前六宿 の一つ  まだ、記憶に新しい  山家宿を通ってきました。


宮地岳 「史跡が多く歴史的価値は高い」

と、書いて ありました。


砥上神社



「童男丱女岩」(どうなんかんにょいわ)



徐福伝説の岩




 以前 登った 鹿児島 冠岳に 徐福の像があり

砥上神社 上宮

きれいな 石畳が 続きます。

こちらは 「皇后伝説にちなむ史跡が豊富」

と、

昼から雨の予報 でした。


「砥上山」
7月11日

宮地岳神社

冠岳 の名の由来は 

中国の「秦の始皇帝」の命で、家来の徐福が

不老不死の妙薬を探しに来て、

景色の素晴らしさに感動して 冠 をささげたことによるとされる。

と、

高木神社

のろし台跡 広場

山頂から ユーターン、 もと来た道を戻ります。

さて、ゆっくりする暇もなく、

雨が降り出し  傘をさしました。


そして、

かぶと岩へ


上りになります。

基山

天拝山

背振山

「天山登山口」

神功皇后が この兜を冠って 新羅へ遠征したと伝えている。


主人 「私も冠ってみよう」と




さあ、

雨は 段々 ひどくなりました。

下ってきたときは びっしょぬれ
 でした。




福岡県 超低山の山 の本


「ふるさとの山に向ひて 

言ふことなし

ふるさとの山はありがたきかな」 



はい!!

確かに 有り難き と

m(_ _)m

みそぎのはる

神功皇后が 勝利を祈願し お祓いを受けた所

神功皇后が 騎乗された乗馬の蹄跡

登山口から 歩きましたが

林道の ここまで 車が入ります。

コクラン

前日 目配山で、山の会の方から 教えて頂きました。

  教えて頂かなければ 本日 気がつかなかった でしょう。

砥上山にも ありました。

それにしても 悲しいかな うまく 写真が撮れない

たまたま、「天山ふれあい会」の方々が整備に 来られていました。

小学生が 登ってこられるとかで

歴史をずっと、語り伝えたいと

長崎フェートン号事件により 設置と 書いてあります。

ずっと 「天山ふれあい会」の設置された 標識があります。

その、

のろし台 のある 宮地岳 へ