ここでは 

大阪夏の陣の パノラマビジョン 

夏の陣の屏風絵を詳しく説明がありました。




と、これは

帰宅して お勉強




さて、

その 博物館になっている 天守閣に入りました。

エレベーターで 上がります。


丁度 日曜日 凄い 人出でした。


その歴史を簡単に


1585年 豊臣秀吉によって築
 
1599 秀吉死亡

1615年 夏の陣 落城


1620年から2代将軍徳川秀忠によって大坂城の再建、1629年に完成

幕府直轄の城になり 徳川大坂城の城主は譜代大名から選ばれる

江戸時代 たびたび火災による損傷と修復を繰り返した。


特に1665年 には落雷によって天守を焼失し、以後は天守を持たない城であった。


慶応4年鳥羽伏見の戦いでの敗北によって 大坂城は新政府軍に開け渡された。

この前後の混乱のうちに出火し、城内の建造物のほとんどが焼失した。



1928年 再建が提唱され、市民の寄付金により1931年(昭和6年)に竣工した。



建物は、


徳川大坂城の天守台石垣に新たに鉄筋鉄骨コンクリートで基礎を固めた上に、

鉄筋鉄骨コンクリートを吊り上げ工法を 用いて建てた。


高さは54.8メートル(天守台・鯱を含む)。

復興天守の中は  博物館「大阪城天守閣」となっている。



天守は、

豊臣大坂城と徳川大坂城のそれぞれで建っていた場所や外観が異なるが、

復興天守閣では初層から4層までは
徳川時代風の白漆喰壁とした一方、

5層目は

豊臣時代風に黒漆に金箔で虎や鶴(絵図では白鷺)の絵を描いている。



さて、

今日は8月20日 話しは 忘れてしまいそうな ずっとさかのぼって 7月29日の事 です。

大阪からフェリーの予定でした。


そんな時 たまたま、

へら釣りでの ネット繋がりだけで 数年のお付き合い の方が 大阪の方


たまたま 

フェリーが大阪からだと お話ししますと 是非 お寄り下さいとの 話になりました。

すると なんと ご自宅が 大阪城から徒歩10分の所


それではと その方と 長談義 した 後 

ついでに 短い時間でしたが 「大阪城見学」と なった次第です。

さて、

曲輪図のお話です。

「大阪城」
7月29日

お殿様は いつも 天守閣で 生活しているわげてなく 

城主の日常生活や政務を行う場は 本丸御殿 

天守閣から出ると またまた、雨でした。

今回の 大阪城

時間に限りがあり ほんの 一部しか 歩けませんでした。

しかし 

中学生の修学旅行以来で 深く 感激しました。



そして、



大阪城と 言えば テレビ 映画などで 映し出される 豊臣秀吉

そして、

淀君に 豊臣秀頼 様 と、 悲しい歴史が 浮かびます。


しかし 

お城の話になりますと 徳川秀忠 さま

そうしますと お江の方 と 続きます。


今回 大阪城 

その 建物で で 今までとは ちと 違った 想いとなりました。







まず 進みますと 「南外堀」 左に 「六番櫓」

いつものごとく 何も 下調べなしで 思いつき 一番近い 駐車場から 入りました。

さすがに 短時間では 見学出来ない広さだと思いました。

この 黒漆壁が 当時の秀吉のお城の色 だったのでしょう

現在とは  違います。

写真撮影可のあり

天守閣

「桜門」

「一番櫓」

右へ歩いて

調べますに

現在の大坂城の城域は南北1,200メートル・東西1,350メートル

豊臣期の大坂城の総面積は約2千メートル四方


さらに 江戸城は 大阪城の約2倍あるとのこと です。

もう 以前の話題になりましたね。


いえいえ、忘れていた訳ではありません 


これがまた 「お城」と名の付く お話になりますと

調べれば調べるほど かなり深く  頭の中が ごちゃごちゃになりました。


最上階から


母親を背負って 逃げている様子

女性が 追い剥ぎから 服を脱がされるなど

悲しい絵が 描かれています。





まだまだ 展示は沢山ありました。

写真も いっぱい


巨石の話しも、、、。

さて、ここで 天守閣のお話になります。

前回 お話ししました、松本城は 江戸期以前から存在している天守 「現存天守」 木造 高さ25b



大阪城は 昭和以降に 各地で建てられた 復興天守の第一号

コンクリート 高さ37.5b