「福岡城」
2月2日

黒田官兵衛・長政父子は関ヶ原の戦いの功績により

豊前国中津16万石から、

一躍筑前一国52万3千石を得て名島城に入城した。


便宜上から名島城を廃し、福崎丘陵(福岡城跡)を新城候補地に選定した。

如水にも、これとは別に上方での加増が提示されるが辞退し、

その後は中央の政治に関与することなく隠居生活を送った。

晩年は再建に努めた太宰府天満宮内に草庵を構えている。


福岡城は 慶長6年(1601)には築城が開始され、7年後の慶長12年(1607)に竣工した


官兵衛はすでに没後3年目で、

自ら築城術の集大成を見ることは出来なかったが

同じく築城の名手として呼ばれた 
加藤清正は

「自分の城は3〜4日で落ちるが、福岡城は30〜40日は落ちない」
と 
賞賛したという。

桜の名所でもありますが

梅が咲き始めていました。
カメラを持たれた 観光客がたくさん 訪れていました。

ドームも よく見えます。

大天守主台跡

本日の日差しは 温かく 春のようです 

しかし まだまだ 冬