で、

帰って もう一度 

第一次世界大戦から 調べて みました。


日本は 

日英同盟 基づいて連合国の一員として参戦し、

陸軍はドイツが権益を持つ中華民国山東省の租借地青島を攻略、


海軍は南洋諸島を攻略した他、


1917年にはインド洋と地中海で連合国側商船の護衛と救助活動を行った。



戦時下においては陸海軍とも国際法を遵守し、

ドイツ軍捕虜を丁重に扱った。

青島で捕獲した捕虜約4,700名は徳島県板東など12か所の収容所に送られたが、


特に

板東捕虜収容所での扱いはきわめて丁寧で、

ドイツ兵は地元住民との交流も許され、

ドイツ料理やビールをはじめ、数多くのドイツ文化が日本人に伝えられた。

ベートーベンの「交響曲第9番」は

このときドイツ人捕虜によって演奏され、

はじめて日本に伝えられた


と。

次に 鳴門市 に 行きました。


とは、

パンフレットに

1917年〜1920年 まで、

ドイツ兵俘虜(1000人)と板東の人々との あたたかい交流から、友好が始まり

後生 当時の様子を伝え

ドイツとの国際交流の目的で ドイツ館が つくられました。

と。

走りながらの 鳴門大橋

ドイツ館の 横には ベートーベンの銅像が ありました。

「鳴門海峡」

次に

そして、 ドイツ館の 側にあった 「物産館」は

 当時の「兵舎」と、同じ 形をしていました。 

館内 当時の様子が 再現され

ドイツ人(たぶん)の方の 詳しい 案内 説明が ありました。


撮影禁止 でした。

「ドイツ館」

展望所