かなこさんと 久しぶり 「英彦山」へと 向かいましたが


残念ながら 昼からと 思っていたのが 

早々と 雨


結局 「日田市 観光」 にしようかと  向かい


結局 


「鯛生金山」 の 案内板 目につき ナビを 合わせました。 

また、

もう一つ

中津江村で 知るところ

意味 調べてみましたが わかりません。


「一棒一條痕」

「地底博物館」 入場料 1000円

坑道 見学者  かなこさんと ふたり たげでした。

「鯛生金山」

21年1月29日 木曜日

当時 テレビで 報道されていた 場所 でした。

中津江村

かなこさんと 二人だけの レストランで

さて、

かなこさんと いろいろな 事を 話しながら 歩きました。

 
「歴史の表」 を見ながら 「この人が 大もうけした人 だろうね」

とか

「どんな 地層に 金が 出来るのだろうね」

とか


「私 貴金属に 興味がないから 金  

それより 一万円札の方が良い です」

なんて、

昭和45年 閉山 

まで



 詳しく 説明されていました。

こうざんの れきし 

によると

明治27年に 金鉱が 発見

一掴一掌血一棒一条痕  

(いっかくいっしょうけついちぼういちじょうこん)

一度掴(つか)んだらそのものに血の手形が着くぐらいに掴め、

一本ピシリッと打ち込んだら、一生傷跡が残るほど打ち込め。

うろうろするな、へろへろするなということである。   王陽明

少し違いますが 何となく こんな意味かなと 

まず 入ると 「抗内見張り所」 です。

「こんにちは」と 挨拶しそうに なりました。

お人形さんです。
このように ずっと、坑内 当時のまま  
人の気配と 動きは ないものの、

それなりの 機械などの 音 ありで リアル でした。


の所を のぞき込んで

「麻生総理大臣の お爺さま」

長さ 2614b

矢部村にも 抗口が

と、 見ながら 進みます。

さて


今回 「金」とは 何 

古い時代から 「貴金属」 として 価値を認められている

また、 貨幣の 「金貨」 として 使われている。





さて、 「鉱山 と言えば


一昨年 世界遺産の 「石見銀山」に 行きました。

1500年代から1900年まで 


また、

石炭の 筑豊の炭坑は 有名で 

私の小学校の頃 石炭を運ぶ 汽車や  蒸気機関車の D51 も 走っていました。

閉山は 昭和45年ごろ


今では 景色は 様変わりし

「石炭資料館」に 出向かないと 当時を 知ることは出来ません。



その いろいろな 「鉱山」 の歴史

何億年もの 前からの 地球の 資源


それを たまたま、発見

企業の進出


最盛期  そして、  衰退


その中 いろいろな方々の 生活



今から 地球は どのように 変わっていくのか


コンピューターの時代  たまたま、いる この私


この お粗末な 私の頭脳でも

今から どうなるのかなと

(*^_^*)

昼食 「篭ごぜん」 美味しかったです。