9月7日

6日 夜 台風直撃  

「日光」付近、 旅館の被害、 修学旅行の学生さんが怪我 とのニュース

あああ、明日 「日光」 はあきらめかぁーと。

朝 ゆっくりし、ホテルを出ると 風も雨も 静か

高速道路 正常 で、  とにかく 行ってみようかと なりました。


「日光」に着くと  私の心配をよそに 
なんと

まだ、雨の残る中    観光バス 観光客 いっぱい

嬉しくなりました。

 

つづき

キョロキョロしながら 

この言葉が、目 に入り、


「鳴くまで 待とう ほととぎす」の言葉も、 思い出していました。 


その、「徳川家康」方が ここに眠っておられる 


今からも ずっと、世界遺産 として、大切に保存されることでしょう。  



素晴らしい遺産 だと 思いました

さて、 「日光東照宮」

「万松院」のもの

ここで、 主人 立ち止まって 

「 対馬 と いっしょ!! 」と、 。


先日 対馬に 行ったときの 徳川歴代将軍のお位牌 の あった 

「万松院」に 置かれてました。

鶴・亀の燭台・香炉・花瓶は朝鮮からの献上品だとか。

くぐって 静寂な 石段を登ります。

江戸時代になり、戦もなくなり、猫もすやすやと眠り、平和だと

次は 「坂下門」の「左甚五郎」作 「眠り猫」

次は

ここを 上がって

「薬師如来」を奉ってあります。

天井に描かれている「鳴龍の声」を聞きました。


拍子木で、 他の所を叩くと 「カーンカーン」の音ですが、

天井に描かれている 龍の頭の下で叩くと、「キュルルー、キュルルー」と、響きます。

次に

「本地堂」 「鳴龍」

昼間の守りには
東西 「龍」
  
夜間の守りとして、
百獣の王・虎よりも強いという
「恙(つつが)」

次に  唐 門

左側に

ここも、 彫刻が 見事


「完成した建物は、いずれはこわれる、

建物を完成させなければこわれる運命をさけることができる」と。


裏側も 素晴らしい

魔除けの「逆柱」

「逆柱」

他のとは 模様が 逆さ

それはそれは、 たくさんの 彫刻が みごと です。

陽 明 門 (日暮門)

右の鐘楼 と、回転灯籠

沢山の燈籠の中

右 伊達政宗がポルトガルから取り寄せた、南蛮鉄で鋳造させたといわれる2基の燈籠。

反対側には薩摩藩主・島津家久が奉納した唐銅[からがね]燈籠

陽明門 の左右に 南北の大藩 
当時の徳川幕府の権力の強大さがうかがえます。

正面 陽明門(日暮門)  
左側が太鼓を置く鼓楼                  右側が鐘を吊るす鐘楼

さて、次に

そして、また、@ にもどる

私的には 何度か 読み直した 一行  (*^_^*)

その、2番目  が その、「見ざる、、、」 の ところ

彫 刻 が 八 面

人 間 の 一 生 を 風 刺 し て、

「猿」 の 「誕 生 か ら 妊 娠 」ま で を、

置 き 換 え た も の


まず

神 の 乗 り 物 で あ る 神 馬 の 厩 舎
 昔、 猿 は 馬 を 災 難 か ら 守 る と さ れ た と こ ろ か ら 「猿 の 彫 刻 」で飾 ってあ る。

猿の彫刻

有名な 「見ざる 言わざる 聞かざる」の場所

さて、その 向かいに 

ちと、見にくい ですが、その 白と黒の象

表門を くぐると 正面に 校倉造りの 

「上神庫」「中神庫」「下神庫」の 「三神庫」

その、「上神庫」に 

狩野深幽が想像で描いた

「想像の象」の彫刻が飾られてます。 

表 門

正面

一ノ鳥居をくぐると 左側
徳川家康

 『日光山に小さな堂を建てて勧請し、
神として祀ること』の遺言で

息子2代将軍秀忠は 

日光に廟をつくり、第3代将軍 家光が 日光東照宮を改修

さて、その「日光」

あまりに 豪華 すぎて あっちこっち うろうろ  ため息 ばかり 

主人 ずっと 先を歩いてました。 (>_<)

また、 今回 レポート  何から 書き出せばいいのか

なかなか、 まとまりませんでした。

「日光東照宮」も かなり詳しい ホームページが たくさん

今回 この私なりに 見てきた 一部を 簡単に と 思います。


「日光東照宮」

「東照大権現」と書かれています。

「徳川家康」の勅諡号(ちょくしごう)。