「黒田官兵衛」ゆかりの地

 天文15年(1546) 姫路城代を務める小寺職隆の嫡男として播磨国で生まれる
   
 天生15年(1587)  九州平定後、本拠地の馬ヶ岳城: をはじめとする

豊後国中の6郡 およそ12万石を与えられた

その直後に
中津城:の築城を開始
   
 天生15年  反乱が起き 長政が城井ノ上城:に攻め込んだが

山岳戦を得意とする城井軍に敗戦した(城井谷崩れ)。


赤壁 「合元寺」:
   
 1592年  名護屋城: 完成 官兵衛 朝鮮入り
   
慶長3年(1598) 豊臣秀吉 没
   
 慶長5年(1600)  関ヶ原の合戦の後、

長政が先に勲功として

家康から筑前国名島(福岡)52万6,000石 への加増移封

福岡城: (黒田長政が1601年から7年で築城)
   
  筑前六端城」: 長政 国境を守るため

「鷹取城」 母里太兵衛:
  黒田一成 三奈木黒田家 当主となる:
 1603年  徳川家康 江戸幕府創設 1867年大政奉還まで続く       
 慶長9年(1604)  官兵衛 病死
 1615年  大阪夏の陣
 1623年  黒田長政 没
   田家 墓所 「崇福寺」:

この私 ミーハーで 流行に左右されやすい 性格


最近 あちこちで 「黒田官兵衛」 の旗を見かけると ちと 覗いてみたくなります。

「福岡市博物館」

「行橋市歴史資料館」 26年1月31日: